あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

新潟行 2801D 『 赤倉 』 全区間走破!






「赤倉」・・・名古屋~新潟間の全線架線下DC急行であった頃、

一度だけ下り列車に全区間乗ってみたことがあります。

まだ塩尻は旧駅でここから進行方向が変わりました。

キロが2両入り、増結車を含めキハ58系12連という豪華?列車でした。

長野までの間に381系「しなの」に2本くらい抜かれた記憶があります。

その長野までは比較的ゆったり過ごせましたが、その先新潟までは結構乗車率が
良かったようです。    

(1980.11.23)



全車 新ニイ       
名古屋10:03→新潟18:17


塩尻

1 キハ58 661
2 キハ58 1009
3 キロ28 2512
4 キロ28 134
5 キハ58 635
6 キハ58 568
7 キハ58 1019
8 キハ58 500
9 キハ58 490
10 キハ58 491
増11 キハ58 267
増12 キハ58 206 (乗車)  


  ・・・詳しい「記録」出てまいりました。
 
 
 
え~この列車は・・急行 「 赤倉 」 号、新潟行でございます。 名古屋を出ますと、千種・多治見・瑞浪・恵那・中津川・南木曽木曽福島・・・・・長野の順に停まってまいります。発車まで3分ほどお待ちください・・・
反対側のホームから10時発の 「 しなの7号 」 が出て行った。ちなみにこの列車の長野着は我が 「 赤倉 」 より1時間22分早く着く。とはいえ相手は振り子電車特急、そんな話をしても始まらない。
増結車の12号車に席をとる。 名古屋での4時間、ホームで一緒に写真を写したオッサン ( 宇都宮の方・・ ) と記念写真を撮ろうとドアの外に出るが、肝心な 「 赤倉 」 のサボがない。よく見ると10号車以前の“本編成”には入っているようだった。
 


 
 
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 なんとなく意気投合した 「 鉄 」 のオジサンと記念撮影。 
 
 
 
 
 
イメージ 2

 名古屋市街地を抜けて。 (ブレご容赦!)
  
 
 
 
 
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 同上。
 
 
ジジジジ~ン!!・・急行 「 赤倉 」 号の発車です。 次は千種に停まります。
ドアが閉まり、いよいよ22基のDMH17Hが咆哮する。 ゆっくりと2801D 「 赤倉 」 は新潟へ向け8時間14分の旅を始める。 多客期なので増結車を2両つけているが車内はガラガラ・・ ( といっても編成中程はそこそこ乗っているが )
窓を開け放つと12両編成のしんがりなのでキハ58系の編成美が目の当たりなのはいいが、その22基のDMH17の排気もすべて受けることになる。 まあ、トンネル以外ではさほど気にならなかったが・・
名古屋を出て暫くは高架線を走り、意外と静かな名古屋の街並みを抜け列車は木曽路を目指す・・。 しばらくして景色が少し山めいてくると2両のキロ以外すべて2エンジンのキハ58で編成されたこの 「 赤倉 」 の“見せ場”である。 
 ~すべて山の中~ と言われる木曽路へ踏み込む。しかし・・今は11月だからよいが、冷房の装備が先頭2両の指定席車とその後ろ2両のグリーン車の4両のみというのはDC列車というだけで余計に暑く感じる夏場は敬遠されるだろう。勾配の続く運転線区で冷房電源付きのキハ28を入れるのがムリであれば、キハ65を編成中に2両入れ、キロを2両とも2000番代車にすれば冷房化出来る。
まあ、一般の利用者から見れば何も名古屋~新潟間、全区間架線下を走るDC急行が走っている事自体が??なわけで、さっさと電車にしてほしいというのが当然であろう。 しかし、ボクのような物好きファンにとっては名古屋~新潟という“本州横断”コースを8時間以上掛けて走る『全線架線下気動車急行』となると、魅力満載!ということではるばる乗りに来るのであるが・・

 
 
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 多治見では、役目を終えたEH10が多数留置されていた。
  
 
 
 
 
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 同上。 
 
列車はいつしか多治見に着いた。いくらかの客を降ろし、いよいよ本格的に木曽谷へ分け入る。辺りの山々はすでに葉が落ち、常緑樹の緑だけが枯れた風景に映える。紅葉のころはさぞ見ごたえがあるであろう。その季節にまた中央西線を訪れたいものだ。
列車は木曽川に沿って右に左にカーブを切り、車窓のいくつも連なる山の姿が川面に映り、DMH17サウンドが重々しさを増していく。
 
 
 
 
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 次第に木曽路に分け入る。  
 
 
 
 
 
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 ・・・・。
 
 
中津川の街外れを過ぎていく、60km/hくらいだろうか、時折現れる20‰勾配と絶間なく続く左右の曲線でそれ以上出ない感じながらエンジンの鼓動が頼もしい。時折線路改修で打ち捨てられた旧線跡が車窓に流れる。
合川を通過すると鉄道写真ポイントの橋梁を渡り坂下。 田立を通過、長いトンネルを抜けるといよいよ信州。有名な馬籠塾が近い。
車内では若者のコーラスグループが2ボックス陣取って合唱を始めた。僕はイヤホンを耳にカセットのボリュームを上げる。 
 
 
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 寝覚ノ床付近。
 
 
 
 
 
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 名勝を一瞬車窓より。
 
 
やがて列車は名勝“寝覚ノ床”にさしかかり、車内放送のガイドが入る。時刻は12時。 ・・「短いトンネルを抜け、鉄橋を通りますと、真下に見える岩が“寝覚ノ床”でございます。どうぞ旅の思い出に・・」
しばらく行くとバッチリ見えた。“晩秋”というより“初冬”の風情だが、中央西線は全線を通して見ごたえある車窓だ。
 
 
 
 
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 22基のDMH17が咆哮を上げる!  上松付近か・・
 
 
 
 
 
 
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 谷が深くなり、国道19号と寄り添いつつ・・。
 

 
 
 
 
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 ・・・・。 
 
12時14分、木曽福島を出て街並みを抜ける。 塩尻まではあと約40キロ。 薮原を過ぎ、峠として国鉄線で最も高い位置にある島居峠を越えて奈良井を通過・・
塩尻の近くまで来ると空の雲行きが怪しくなり風も冷たくなってきて仕方なく窓を閉める。松本へまっすぐ抜ける短絡線工事現場を左に見て塩尻着。ここで進行方向が逆になり、わが増結12号車は先頭車となる。
 
 
 
 
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 長野までは空いており、ワンボックス占有。 
 
 
 
 
 
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 進行方向が変わる塩尻旧駅で165系 「 きそ4号 」と出合う。  サハ153が組み込まれていた。 

サハ153をはさんだ165系 「 きそ4号 」 と顔をあわせ12時59分塩尻発。12分ほど複線の篠ノ井線を走り松本へ滑り込む。ここでは多数の乗客があったが、12号車はさほど変化がない。 ( 空いたまま ) ボクのほかにもう一人名古屋からずっと乗っているアンちゃんがいるが、彼も新潟まで乗るのだろうか、さっきから眺めのいいほうの席に行ったり来たりして景色を見ている。
松本を出て駅を一つ通過するころ上り客車鈍行の836レとすれ違った。こちら 「 赤倉 」 は再びエンジンの唸りを上げて25‰に挑む。この路線も複線の新線を建設中であり、途中から大きく右に逸れていく巨大なコンクリートの橋がある。 ・・ここの線もレンガのトンネルが見られなくなってしまうのは残念である。
 
 
「 え~っ この列車は上り特急 『 しなの8号 』 と行き違いの為、あと2分ほどしますとスイッチバックの信号所に停まります。発車の際に一旦後ろに下がりますのでご注意下さい 」 とアナウンス。 

列車が潮沢のスイッチバックに突っ込んでしばらくすると 「 しなの8号 」 が坂を降りて来た。 通過を待って少しするとこの 「 赤倉 」 もしずしずと後退、加速線に入る。そして再びタイフォンんを鳴らして前進、また25‰を登る。
 
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 潮沢信号場で上り 「 しなの8号 」 と交換。 
 ・・・キハ58系12連(の12号車)だと、目一杯スイッチバックの奥まで進入する。 
 
 
 
 
 
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 発車。・・・・後退中。 
 
 

  
 
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 本線を登り始めた。

 この信号場は新線切替により廃止、 現在はハイキングコースになったとか。(歩いてみたい)
 






 
10分ほど走り今度は上り 「 赤倉 」 と交換・並びに後続の 「 しなの9号 」 退避の為西条に運転停車。 
 
 
 
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 続く西条では上り 『 赤倉 』 と交換、同時に後続の 『 しなの 』 に道を譲る。 
 ・・・2802Dがやってきた。
 
 
 
 
 
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 2802D。 

 
 
 
 
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 44基のDMH17がアイドリング。 

 
 
 
 
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 続いて381系を見送る。 
 
 
 
 

「おまちどうさまでした。次は聖高原に停まります。」
キハ58は165系電車よりも幾分車体が長いので、12連が非常に長く感じる。聖高原というが、風景はちっとも“高原”らしくなく、“聖盆地”といった感じの車窓であった。


     続く・・・
https://tettd489.hatenablog.com/entry/19883824