あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

810313「五六豪雪」名残りの越後路の旅-3



只見川に沿って・・・429D
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1981.3.13 只見線429D(1) 小出(只見)行   会津若松12:26→只見15:12
 
 キハ 52 1  仙ワカ  ↑只見
 キハ 55 103 仙ワカ
キハユニ26 41  仙ワカ (乗車)

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会津若松で発車を待つ429D 案内板は 「 小出行 」 になっている


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最後尾のキハユニ26の前で  会津若松


会津若松駅2番ホームから誇線橋を渡って右側、429Dの待つ只見線ホームへ、この列車、通常は小出直通だが冬季ダイヤで只見乗換えとなっている。ホームの屋根に積もった雪の融けた水がバタバタと3両の気動車の脇に落ちてくる。実際、キハユニ26の前ではカメラを濡らしてしまった。
編成を見ると、只見側からキハ52のトップナンバー、続いてキハ55の103号、そして関東ではお目にかかれないキハユニ26の41号という3両。 座席はキハユニの郵便室の脇右側にとった。売店で簡単な食料を買い込み発車を待つ。
やがて12時26分、定刻に発車した。途中、西若松で乗車し、向かい側の席に座ったオッサンにウイスキーを勧められてしまった。(丁重に断ったが・・)列車は眩しい日差しの中、会津盆地の雪原をトロトロと走る。

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突如山岳線へ


そのリズムが会津高田を過ぎたあたりから一変し、右に大きく旋回したかと思うと勾配を登り始めた。窓から顔を出してみると前のキハ52とキハ55の排気が勢いよく出て、喘ぎ登っているのがわかる。
20‰くらいの坂を淡々と登る。そして今度は左にカーブ、林の中を少し走り小さな駅に着いた。 駅を出ると再び勾配を左右にうねりながらフルパワーで登る。床下からエンジンの響きが伝わり、勾配線の気動車ならではの味わい・・。
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雪の量が増えてきた。2メートルはありそうだ。しかし季節はもう春、気温が上がり雪解けも大分進み雪崩の危険が高まっている。このため列車は非常にゆっくりしたスピードで峠路を行く・・。
只見でキハ58の二連の系統列車に乗換え小出を目指す。

( この続きのノートが破損しており、写真のみの掲載となります。ご了承ください。 )
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世界有数の豪雪地帯を行く只見線


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小出到着







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食堂車でカツカレー



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「 いなほ6号 」 大宮


一旦長岡へ出て、「 いなほ6号 」で帰還。・・までは良かったが、見事に寝過ごし大宮まで行ってしまった。



自己解説
妙高 」 には2両のサロが連結され、「 きたぐに 」 は最長距離客車急行、両端を交流電化と直流電化、半分を非電化の磐越西線は急行こそ気動車・電車であったが、普通列車は客車が主力であった。
そんな古い時代の鉄道の姿を留めていた最後の時代であったと思う。 ちなみに、磐越西線列車に組み込まれていたスハフ32 2357は、現在当地元高崎で 「 レトロトレイン 」 の一員となっている。
http://blogs.yahoo.co.jp/tett169/GALLERY/show_image_v2.html?id=http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/4f/f8/tett169/folder/1011193/img_1011193_20657214_2?1251181632
↑スハフ32参考

( 当時乗車メモ・ほぼ原文シリーズ )