あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

籠原へ「お散歩?」 ・・・211系デビュー&『国鉄』 最後の夏

1986年夏、 EF55が国鉄からJR東日本への『忘れ形見』として復活。

 ・・その出発セレモニーを高崎駅で見送った後、たまたま居合わせたT氏(中央441Mにも同行)

  と新幹線に乗り フラフラと熊谷へ・・・・・。

   
 
 
 
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 まずはEF55。 489系は 「正統」国鉄色、 この撮影をしていたところでT氏と鉢合わせした。

 この後EF55はイベント臨 『EF-GOGO』 として、旧客を牽引して(補機なし)水上へ。 
 
 
 
 
 
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 新幹線ホームへ上がり、下り列車を。

 200系は塗色、編成ともオリジナルを保った『E』編成。
  
 
 
 
 
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 少しワイドに。 ・・9号車に237ビュッフェ、7号車に215グリーン車。(登場時のまま)
 
 
 
 
 
 
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 行きかう200系とT氏。 当時、高崎駅通過線を走る列車は数えるほどしかかなかった。 
 

 
 
 
 
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 乗車列車がやってきた。  
 
 
 
 

 
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 お目当ては 9号車のビュッフェである。 ・・速度計とT氏。
 
 
 
 
 
 
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 もちろん営業中であり、 サンドイッチ他をオーダー。

 ・・・車販では、新潟土産のほか北陸方面の一部駅弁も買えた。
 
 
 
 
 
 
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 熊谷で降り(一駅料金で安い)、籠原へ。 デビュー間もない211系の姿。
 
 ・・先代115系にとっては、発祥の地でもある上野口の牙城が崩れ始めたころ。
 
 
 
 
 
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 とは言え・・211系はまだ極少数で、このように『デカ目』を絡めた並びも撮れた。
 
 
 
 
 
 
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 『デカ目』を正面気味に。  さすがに冷改されていた。


 
 
 
 
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 付属編成解放とあわせ、189系『あさま』の通過待ち。
 
 
 
 
 
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 上りの『あさま』。 ・・189系は既に片パン運転。
 
 
 
 
 
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 『デカ目』が去り、留置中の115系15連を。 ~しっかり「Gマーク」健在であった。

 ・・このころは 初期型~1000番台、三鷹からの転属車、先頭改造車などバラエティー豊富。
 
  
 
 
 
 
 
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 クハ115-1000のプロフィール。 ・・台車のコイルバネには防雪ゴムカバーがつく。
 
 
 
 
 
 
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 この日の「珍客」は 485-1000『鳥海』上野行。 こちらも片パン。

 ・・上野~秋田の臨時列車となり、電車特急としての終焉間近のころ。
 
 
 
 
 
 
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 EF60も健在。 しかしEF15はもう居なかった気が・・


 
 
 
 
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 115系上り列車。 
 
 1000番台を先頭に長い編成を組む姿も、下りホームの「長野」の文字も 遠い昔に・・・。
 
 
 
 
 
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 最後は「新鋭」 211系で帰還。
 
 
 
 
 


 ~つまらない「とある1日」のスナップですが、今となっては貴重な画像ばかり・・・。