あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

1980.2.10 越後・信州縦断ルートpart8


の続きです

冬枯れの信州を行く・・326レ
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1980.2.10 信越本線326レ高崎行  長野15:04→高崎18:30
 EF63 6  横        軽井沢~横川  ↑高崎
 EF63 12  横        軽井沢~横川 
 EF62 37  高二 
・マニ 37 2019  北オク
・オユ 10 2558  北オク
・オハフ45 2203  北オク
・オハ 46 2059  北オク
・オハ 47 2245  北オク
・オハ 46 2014  北オク
・オハフ45 2201  北オク  (乗車)

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長野発車直前の326レ

326レ、15時04分長野を定刻発車。 先頭のEF6237は前面のナンバーが少し下寄りに付いていて、何となく他のロクニとは違った顔をしている。
長野を出るとすぐ、中央線中津川からの2825レとすれ違うのだが気づかなかった。 ロクニとロクヨンの離合シーン・・さぞ信州の風景にマッチすることだろう。
古戦場で知られる川中島を過ぎ、篠ノ井着。機関区ではEF62とEF64がひしめいている。信州を行くELのねぐらである。ここのEF62とEF64は共に一部でパンタを下枠交差式のPS22に交換しているものがあり異彩を放っている。
屋代に着くと長電の旧型電車・・赤とクリームのツートンカラーの単行須坂行が向こうの長電ホームに停まっている。326レの後に来る優等列車を待っているのだろう。
このあたりの信越本線は、山々の真中に広がる上田盆地千曲川と併走している。3年前~1976年の12月にここを321レで通った時は、周りの山々は樹氷に染まり盆地に広がる田んぼは白く雪化粧していたのだが、今回はそうではく黒い土を見せている。田んぼの向こうには茶色い山がデンとのしかかり、千曲川には雪のかけらもなく冬枯れの風景が続く。遠くわずかに浅間山だけが白い山頂を覗かせる。
上田では「別所温泉行のりば」と大きな看板を掲げた上田交通のホームにブルーとクリームの電車がやはり単行で停まっている。


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信越本線のハイライト・・浅間山にしか雪はなく


景色も雪がなくなり車内も暖房が程よく、うとうとしていたら滋野駅に停まっているうちに 『 信州8号 』 に抜かれた。再び列車は千曲川に沿って東上・・。
列車のスピードが落ち、ポイントのジョイントを刻むと懐古園をかすめて小諸に到着。吾が326レが横付けされた1番ホームには・・T氏がいた。
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小諸に進入する326レ・・T氏撮影


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T氏撮影の飯山線スナップ
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3枚目はスキー臨 「 戸狩スキー 」 だ。

彼は今朝上越線723Mと 『 佐渡1号 』 を乗り継いで越後川口に行き、飯山線をたどり、先程の 『 信州8号 』 で小諸まで来て小海線のDCを撮影していたそう。 彼の話によると、なんでも飯山線はすごい積雪だそうで、途中列車は増結を行い、編成の真中に荷物車があって・・・
上越線の723Mはすし詰めの状態で約30分の遅れが出て、新潟県側は吹雪だった・・・
・小諸の高原弁当は結構うまい。今日は朝から何も食べていないのでそう感じたのかなぁ~・・
などと話しているうち20分の停車時間が過ぎ発車ベルが鳴る。~各駅停車高崎行発車です。危険ですので列車の飛び乗り、飛び降りはおやめください。・・と放送が終わると先頭のEF62のホイッスルが長く尾を引いて列車が動き出した。陽は既に西に傾き、浅間山はオレンジに染まっている。小海線との併走区間ではキハ57・52で編成された列車を追い越した。D51が展示された御代田を過ぎ、信濃追分までの区間信越本線の有名撮影ポイントを通る。大きくS字カーブを切り、間近に浅間山を見て列車は進むが今日はファンの姿はない。
信濃追分では再び車窓に雪が目立ってきた。日陰にちらほらとであるが、さすがに高原地帯である。冷たい風が駆け抜けた。
中軽井沢で幾人かの客を乗せ、軽井沢の街外れを走る。賑わう夏とは違い人一人居ない駅前の道を落ち葉が舞っている。・・軽井沢に到着。編成の一番前に行くと、EF6237の前に2両のロクサンを連結する作業が行われていた。

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軽井沢に居た貨物365レ


再び車内に戻ると、先程小諸で高原弁当を食べたばかりのT氏がまた腹が減った~と言っている。 美しい浅間山の姿を見て、また腹が減ったのかな?
補機の連結も終わり、発車のベルが鳴る。これからいよいよ日本一の峠、碓氷峠越えにかかるのだ。・・ロクサンの「ホーッ」と、ロクニの「ピ~ッ」というホイッスルが続けて軽井沢の街並みに響き、326レが動き出す。2両のEF63にサポートされて急勾配を降りていくのだが、外は既に日没から夜への短い時間の中にある。この峠路に続く16本のトンネルは、窓を開けていると3重連の機関車から放たれる発電ブレーキの熱で生暖かい風が吹き込む。
66.7‰が10キロ続く峠を下りきると横川に着いた。客車のドアから一点に向かって人が押し寄せる。その一点とは「峠の釜めし」でおなじみの、おぎのやのワゴン。補機の連結で全列車が3分以上停まる横川駅で「峠の釜めし」というグーなネーミングで一、二を争う駅弁に仕立てたおぎのやは見事である。その釜めしは600円也。
EF63が外され、再び元の編成に戻った326レは闇の中を高崎目指して駆け下りる。碓氷川を渡り、松井田を出たあたりで検札があった。・・この列車で検札を受けたのは初めてである。磯部、安中と過ぎ、再び碓氷川を渡り群馬八幡、そして烏川を渡り北高崎を出て上越線をオーバークロスし、高崎駅7番線に歩みを止めたのは18時30分、定刻である。
ほとんどの人が降りて、車内はビールの缶や菓子の箱が散らかり、あまり綺麗ではない。ホームには「7番線到着の列車は、19時16分発各駅停車上野行です」とのアナウンスが流れ、EF6237とマニ、オユが切り離され夜のホームに5両の客車が取り残された。
立食カレーライスを求め、たかべんスタンドへ・・。

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裏返され、上野⇔高崎になったサボ

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車番を撮影するT氏

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13連となり、高崎線内はEF58が牽引



ラストランナー・・・2326レ
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1980.2.10 高崎線2326レ上野行  高崎19:16→倉賀野19:22
 EF58 137     高二   ↑上野
・マニ 37 2019  北オク
・オユ 10 2558  北オク
・スハフ42 2003  高タカ
・オハ 47 2320  高タカ
・オハ 46 2628  高タカ
・オハ 35 2557  高タカ
・オハ 35 2560  高タカ
・スハフ42 2006  高タカ
・オハフ45 2203  北オク
・オハ 46 2059  北オク
・オハ 47 2245  北オク
・オハ 46 2014  北オク
・オハフ45 2201  北オク  (乗車)


高崎での45分、たかべんカレーを食べている間に6両の増結車とEF58が連結されていた。
隣りの6番ホームからEF62+12系「妙高52号・戸狩スキー」が発車するといよいよこちら2326レの発車である。 ジジジジ~~ンとベルが鳴り響き、19時16分定刻にEF58のホイッスルが鳴った。夜の高崎操車場がライトに浮かぶシーンを横目に倉賀野着。今回の旅は終わった。


( 旅ノートほぼ原文シリーズ )


~自己解説
まだ新幹線も高速道もなく、鉄道輸送が活況であった時代。
夜行の「佐渡」「妙高」が定期で運転され、シーズンには幾本もの臨時が加わった。
佐渡7号はスキー客で混雑、立ち客も越後湯沢あたりまでおり、深夜、雪の中で降りたスキーヤーはどう過ごしたのか・・。
越後線は電化前で10台形式に替わるキハ47が大量投入された直後。のちに電化されるが、車両は各地の編成短縮化の寄せ集めで、「新車」という意味ではキハ47のほうが勝った。
1322~322~326~2326と続くスジは信越本線開通当初からの伝統列車であった。今日では合理化、電車化が進み、米山駅ほか多くの駅の退避線は閉鎖・廃止されている。
機関車の牽く客車列車が幹線上でごく日常の姿であった。
「横軽廃止」など夢にも思わず、”ハイライトシーン”であるはずのEF63連結シーンは見学のみで撮影せず・・。

・・モノクロ写真を多用していますが、カラーが無かったからではなく、当時私が高校”写真部”所属で現像・引伸ばしに凝っており、トライX、ネオパンSSSなどを常用していた為です。
(そのためか、「現像ムラ」が散見されます。あしからず。)