あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

命運尽きたのか・・・・489系-1

http://osaka.yomiuri.co.jp/teppan/tr91204a.htm
↑どうやら、来るときが来てしまったらしい・・。


1972年3月、客車急行より格上げにて 『 白山 』 として本デビュー、
仮デビューは、新幹線岡山開業前の山陽~九州特急で足慣らしを兼ね・・。

加賀百万石の都・金沢と、 「 首都 」 東京を直結することを使命に誕生した489系電車。
行く手を阻む碓氷峠を12連で克服する為、直流急行型169系で成功していたEF63との
「 協調運転 」 システムを交直両用485系ベースに組み込み、まさしく 「 白山 」 の為の
スペシャル電車です。

今回、その使命を今に受け継ぐ 「 能登 」 廃止が現実味を増したことで、この電車の処遇が
鉄道ファンの注目を俄然集めます。




・・今日は緊急総力特集(大げさ!)として、 記憶にも新しい?・・97年信越本線廃止直前の
489系の姿を、“秘蔵?”画像から怒とうの ( また大げさ! ) 特集いたします。




・・・485系と違って、付随車まで 「 489 」 を名乗るのがカッコよかった・・。

 

まずは群馬八幡~安中のR18旧道から上り 「 白山 」 後追い。
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代わって峠区間。 JR化直前に金沢から長野へ転属した貫通型3本は 「 あさま色 」 になった。
しかしながら、峠の鉄路と運命を共にしてしまった・・。
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雨の日、霧積街道から上り 「 白山 」
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峠を登りあげて冬の矢ヶ崎。 ・・TOPに仕様したシーン。 ( ブレご容赦 )
「 白山 」 のアルバイト仕業である 「 あさま23号 」 。 長野往復後、ホームライナーもこなして
能登 」 で金沢へ帰った。
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こちら夕焼けの浅間山・・信濃追分~御代田
やはり 「 あさま23号 」 。
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・・・第二章へ・・。