あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

ヤロー二人で善光寺・・1985?秋

「 ツーリング 」 編で時折登場するKBT氏と、
上野口最後の169系運用で残った 「 妙高 」 で長野へ・・




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60-3 東北・上越新幹線上野開業で、57-11以来14系編成で走っていた
夜行 「 妙高 」 が169系電車化された。





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電車化というと聞こえはいいが・・・169系自身、昼行運用が全て特急格上げの上、
サロが編成から抜かれモノクラス9連での、最後の“横軽協調”運用列車となった。 
14系編成からの置き換えでもあり、サービスアップというよりも効率アップの
電車化であったのは間違いない。
しかしながら、この列車が上野駅で最後の“急行型による急行列車”であったそう。
169系にとっても最後の“本来の運用列車”であった。




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前置きはそんなところで 善光寺・・





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ところ変わって長野駅。 
12系+20系編成の 「 ちくま 」 が昼寝に入ったところ。
489系 「 あさま 」 と並ぶ。 
・・・この時点で、489系3編成の金沢→長野移管の布石が出来ていたと言えそう。




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189系編成の 「 あさま 」
・・・悲願であった12両化を達成した189系であったが、 60-3で基本9両となってしまい、
多客期のみ12連に“増結”されるスタイルとなった。 ・・これはその増結スタイル。

MG/CP付のサロ189-100は6→7号車となり、軽いほうのサロは485系からの転用で賄われた。
そのサロ189-50は車体に手を入れることなく、オリジナルの189系と窓の段差が出来た。
モハ車の485系転用もあったが、こちらは車体が全面的に作り直されて外観からは
判らなかった。( モハ-500番代 )





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長野から湯田中へ長電特急
・・・2000系はこの“りんごカラー”が一番シックリ来る気がする






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湯田中からは長電バス志賀高原へ。
信国境を越え、 「 白根火山 」 バス停で乗換え。







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再びバスで草津温泉~長野原と降り、吾妻線185-200系“新特急草津”にて帰還。




・・志賀高原を公共交通機関で越えて・・・コレが最初で ( 今のところ ) 最後。
どういういきさつで二人で行く事になったか全く記憶ナシ・・