キハ57。
いわゆる「キハ58」一族にあるが、
登場が北海道用キハ56に続いて
信越用キハ57、そして最後に
真打ち?キハ58という順だったようだ。
特急型キハ80系に準じたDT31エアサス台車を
履いて、アプトのED42(のちにはあのEF63)に
牽引(推進)され、信州の鉄道近代化に
一役買った。
ただ、色々な文献を見ていると、
エアサス台車はディスクブレーキ装備で
ブレーキシリンダーがラックレールに
干渉しにくい構造であったこと、
多客期で車体が重くなっても、
エアの充填を増やすことで車体の沈みが
抑えられ、やはりラックレール干渉を防げる
みたいなふうに解釈できる記述があり、
後年の電車特急・急行のように
エアサスをあらかじめパンクさせて
車体を落ち着かせて負荷を減らす・・
のと少々意味合いが違っていたようである。
事実、12系や14系の客レは横軽間で
エアサスパンクを実行していなかったのは
確認したが。。
にしても、
「全国区」の最右翼気動車が、
「北海道向け極寒地仕様」、
「信越線横軽対応仕様」 、
「その他ならどこでも仕様」の
3通り仕分けだったという事実。
改めて
信越本線碓氷峠の伝説性を物語りますね。。
ちなみに、上信越自動車道上り線横川SAにある
キハ57は
四国で廃車になったキハ58の運転台部分を
利用して作ったレプリカ。
小淵沢 1984