あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

懐かしリーズ vol.369

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キハ57。


いわゆる「キハ58」一族にあるが、
登場が北海道用キハ56に続いて
信越用キハ57、そして最後に
真打ち?キハ58という順だったようだ。


特急型キハ80系に準じたDT31エアサス台車を
履いて、アプトのED42(のちにはあのEF63)に
牽引(推進)され、信州の鉄道近代化に
一役買った。


ただ、色々な文献を見ていると、
エアサス台車はディスクブレーキ装備で
ブレーキシリンダーがラックレールに
干渉しにくい構造であったこと、

多客期で車体が重くなっても、
エアの充填を増やすことで車体の沈みが
抑えられ、やはりラックレール干渉を防げる

みたいなふうに解釈できる記述があり、

後年の電車特急・急行のように
エアサスをあらかじめパンクさせて
車体を落ち着かせて負荷を減らす・・
のと少々意味合いが違っていたようである。

事実、12系や14系の客レは横軽間で
エアサスパンクを実行していなかったのは
確認したが。。



にしても、

「全国区」の最右翼気動車が、

「北海道向け極寒地仕様」、
信越線横軽対応仕様」 、
「その他ならどこでも仕様」の

3通り仕分けだったという事実。


改めて

信越本線碓氷峠の伝説性を物語りますね。。





ちなみに、上信越自動車道上り線横川SAにある
キハ57は

四国で廃車になったキハ58の運転台部分を
利用して作ったレプリカ。






小淵沢 1984