あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

懐かシリーズvol.32

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特急いなほの)「食堂車」。




かつては
その簡易型の「ビュッフェ車」も中~長距離急行に連結され、
特急などと略さない「特別急行」の象徴的車両であった。



高崎線では、昭和50年代初めまで新潟特急「とき」、
新津から羽越本線直通の「いなほ」
長岡から金沢へ向かう「はくたか」、
更に信越本線長野廻り金沢行の「白山」といった
特急列車、
更にビュッフェが「佐渡」「よねやま」「妙高」「信州」・・
といった急行で、編成の白眉として目立っていた。


写真の食堂車は
秋田の「つばさ」「やまばと」と共通運用された
485系1000番代12連に組み込まれたサシ481。

53ー10の秋田特急増発で
その時「白山」の信越国境区間でのユニット故障対策で
489系6M6T→8M4T化されて編成から外された
サシ489を財源?に、金沢から秋田へ転属した車両が
多く組み込まれていた。


耐寒耐雪強化型として485系1000番代が新製されたが
サシだけは「中古車」が整備改造して組み込まれ・・。



赤字にあえいでいた国鉄
数年後に予定される東北・上越新幹線開業で大量に余剰と
なるであろう485系を初めとする特急車両の
先行き?に不安があったのであろう、
間違いなく転用先のない食堂車の新製は見送られた。。




53ー10で「とき」「はくたか」「白山」の各食堂車が
廃止され、既に営業休止になりながらも編成内に残っていた
急行ビュッフェ車も次々外され、
一気に寂しくなった高崎線優等列車の中で
ひとり食堂車連結を維持していた「いなほ」

結局57ー11の上越新幹線開業で新潟始発の
羽越本線連絡特急に建て替えられ、
食堂車なしの9連に。
その後グリーン車も抜かれ6連と。。

一方で「白山」は
その57ー11改正で食堂車「奇跡の復活」を果たしますが
長くは続かず。





この写真のころが
最後の「特別急行」の姿だったのかもです。





新町~倉賀野  1981