あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

14系化なった 『 妙高 』 で日本海へ

妙高9号 』 、旧客編成最後の乗車
http://blogs.yahoo.co.jp/tett169/21890990.html
に同行した学生時代の友人TJ氏と、今度は改正後の14系編成の初乗車に出かけた。



“57-11改正” で14系化された夜行客レ 『 妙高 』 。 座席車5両+B寝台車3両は、同じく14系化された
能登 』 と同じ編成内容であったが、こちらには荷物車の連結はなく、所属も尾久である。
一方の 『 能登 』 はマニ50連結で金沢持ちであった。
以前より 『 北陸 』 の信越線迂回に備えて尾久の14系ハネには順次横軽対策工事が進められていた(と思う)が、
晴れて本領発揮となった。
加えて、旧型客車時代は郵便車連結、座席車は直江津区の所属であったが、14系化後は郵便車なし、全編成尾久所属となった。


・・これも記録メモなし、2010年今現在の『 記憶 』 のお話です。



この改正まで走っていた、『 北星 』 の14系寝台車等がが余剰となり、
『 銀河 』 『 きたぐに 』 『 津軽 』 などの急行が一斉に14系になったような記憶が・・

 
イメージ 1

イメージ 2

座席車の方向幕は単に“直江津”であったが、寝台車にはきちんと列車名入りの幕がセットされた。
 
 
 
イメージ 3

しかしながらスハネフのバックサインは『 急行 』 。




イメージ 4

先頭のEF62だけは変わらず・・
 
 
 
 
 
イメージ 5

いきなり朝。 直江津より乗り換えた北陸本線客レ 





イメージ 6

やってきたのは親不知。 国道8号海上橋の下






イメージ 7

現在では北陸自動車道とそのIC、親不知ピアパークなる休憩施設が出来ている場所



イメージ 8

イメージ 9

海上の岩はなんと呼ぶのだろう・・



 
イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

そして帰り。再びEF81の旧客レで直江津




 
イメージ 13

イメージ 14

手持ちのニコンFEを構えるTJ氏。




  
イメージ 15

車窓には日本海




イメージ 16

直江津から489系『 北越 』 で長岡へ




イメージ 17

イメージ 18

イメージ 19

開業間もない上越新幹線。 ビュッフェでカレーライスを・・



・・・帰還。
(写真が妙に少ないなぁ・・)