あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

最後の雪景色をいく上越特急・・1982

1982年3月、「雪の山々に別れを告げる・・宮内界隈」
http://blogs.yahoo.co.jp/tett169/19823389.html
http://blogs.yahoo.co.jp/tett169/19824719.html

の前日、最後の雪景色をいく上越特急を求め、岩原周辺をロケした。

上野から「 新星 」で仙台、「 あさひ 」 で新潟に出て、新潟周辺をロケ、帰りは信越本線客レという行程。
・・旅行記はのちほど・・



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まずは越後中里の鉄橋。上り181系 『 とき 』 。 
 
 
 
 
 
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アップで。  
 
 
 
 
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岩原のΩカーブへ移動。次の 『 とき 』 。2・3両目はモロ改のユニット(200番代)  
 
 
 
 
 
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アップで。

 
 
 
 
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青森 『 いなほ 』 。 3往復のうち、上下とも真中の1往復は上野~青森、他2本は秋田まで。
1000番代で統一された秋田編成と違い、多少はバラエティがあった。
上越新幹線大宮開業後も『 鳥海 』と名を変え、食堂車も堅持して東北特急の伝統を最後まで伝えた。
 
 
 
 
 
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『 いなほ 』 ・・当時、この界隈で唯一食堂車を連結した白眉であった。
 
 
 
 
 
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最後尾は人気の1500番代。
 
 
 
 
 
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バリバリの新鋭であったEF64-1000。 重連で貨物を牽いて坂を下ってきた。
 
 
 
 
 
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ちょいアップで。
 
 
 
 
 
 
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後追い。
  
 
 
 
 
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当時の名物、クモニ4重連。 吊り掛けサウンドがこだまする。
 
 
 
 
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183-1000系 『 とき 』 。 「 上越線スペシャル 」 として生まれた電車である。
 
 
 
 
 
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下り貨物。 先行投入された0番代と重連。 (ちょっとみずらい・・失礼)
 
 


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名残の雪と183系12連。 サロの1両は485系からの改造車が入っていた。





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また貨物がやってきた。 結構設定が多かったのか。



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橋脚だけ出来た関越自動車道をバックに、珍客クモヤ191。
珍客といえど、昔の仲間(181系)の最後の牙城を走っている・・。





~「 雪國 」 の舞台も現在では完全なローカル線・・・。