※モノクロ写真、現像ミスで粒子粗いです・・・。
1981.3.13(大阪発3.12) 信越本線 501レ急行「 きたぐに 」 直江津 6:22→ 8:29 新 津
EF81 9 富二 ↑新潟
11・オハネフ12 2079 全車・大ミハ
10 オハネフ12 2010
9 オロネ 10 2067
8 ・オハネフ12 2076
7 ・オハネフ12 2078
6 ・オハフ 13 74
5 ・スハフ 12 138
4 ・オ ハ 12 305
3 ・オ ハ 12 343
2 ・オ ハ 12 355
1 ・スハフ 12 126 (乗車)
オ ユ 10 2583
EF81 9 富二 ↑新潟
11・オハネフ12 2079 全車・大ミハ
10 オハネフ12 2010
9 オロネ 10 2067
8 ・オハネフ12 2076
7 ・オハネフ12 2078
6 ・オハフ 13 74
5 ・スハフ 12 138
4 ・オ ハ 12 305
3 ・オ ハ 12 343
2 ・オ ハ 12 355
1 ・スハフ 12 126 (乗車)
オ ユ 10 2583
「 妙高7号 」の着いた3番線から誇線橋を渡り2番線に来るとスハフ12のエンジン音が響き渡っていた。「 きたぐに 」は“夜汽車”から昼行長距離急行へ模様替え中と言った風情で、ホームの立食い蕎麦屋には人の列が出来ている。
1号車スハフ12126に乗り込むと車内は空いており、15番のワンボックスを占領できた。 6時22分、「トゥルルルル~」『急行きたぐに号青森行の発車です。次は柏崎に停まります』とアナウンスが流れ、プシュ!とドアが閉まる。
米山付近
1号車スハフ12126に乗り込むと車内は空いており、15番のワンボックスを占領できた。 6時22分、「トゥルルルル~」『急行きたぐに号青森行の発車です。次は柏崎に停まります』とアナウンスが流れ、プシュ!とドアが閉まる。
米山付近
床下からの「ブーン」と言う発電エンジン音が多少気になったが、ボーッと外を眺めているうち米山の海岸線に出た。日本海は春の穏やかな表情である。EF81の牽く12両の客車は直江津を出て以来ずっと50~60キロ位のスピードで単調なリズムを刻みながら走り、いつしか海岸線を離れ柏崎に到着。向こうのホームのはずれには越後線のDCが停まっている。あたりはまた雪が多くなってきた。
トゥルルル~ンと発車ベルが鳴る。このあたりの駅の発車ベルは電子ホーンである。
柏崎を出ると列車は雪原の中を進んでいた。・・このあたり、6月にでもなれば一面田植えしたばかりの稲の緑で埋め尽くされるのだろうか・・などと想像してみる。
右側の窓を見ると、暖房でついた水滴の向こうに朝日が眩しい。EF81は相変わらずゆっくり目のペースで走り続け、外は雪原が果てしなく・・眠くなってきた。
ちょっとウトウトして目を覚ますと長岡であった。ホームに出て列車の前の方まで歩いてみる。6両の座席車の前、5両の寝台車でもほとんどの客が起きていて、寝台を座席に直して話し込んでいる人もいれば通路で佇んでいる人もいる。A寝台オロネ10お窓にもレースのカーテン越しに外を見ている人がほとんど。いかにも旅人風情である。先頭の2両のハネはホーム側が寝台側で中の様子はあまり見えないが似たような状況であろう。
長岡駅の上越新幹線工事はほぼ出来上がっているようだ。さて、そろそろ席に戻ろう。
長岡を定刻に発車し、「 きたぐに 」は青森を目指す。しかし今日は新津で降りなければならない。次回は大阪から青森まで全区間乗車に挑みたいものだ。
列車は雪原の新潟平野の真中を走る。車窓にはまだ架線のない上越新幹線高架が併走する。再び眠気に襲われつつ新津に8時29分定刻着。
すっかり朝となった新津
トゥルルル~ンと発車ベルが鳴る。このあたりの駅の発車ベルは電子ホーンである。
柏崎を出ると列車は雪原の中を進んでいた。・・このあたり、6月にでもなれば一面田植えしたばかりの稲の緑で埋め尽くされるのだろうか・・などと想像してみる。
右側の窓を見ると、暖房でついた水滴の向こうに朝日が眩しい。EF81は相変わらずゆっくり目のペースで走り続け、外は雪原が果てしなく・・眠くなってきた。
ちょっとウトウトして目を覚ますと長岡であった。ホームに出て列車の前の方まで歩いてみる。6両の座席車の前、5両の寝台車でもほとんどの客が起きていて、寝台を座席に直して話し込んでいる人もいれば通路で佇んでいる人もいる。A寝台オロネ10お窓にもレースのカーテン越しに外を見ている人がほとんど。いかにも旅人風情である。先頭の2両のハネはホーム側が寝台側で中の様子はあまり見えないが似たような状況であろう。
長岡駅の上越新幹線工事はほぼ出来上がっているようだ。さて、そろそろ席に戻ろう。
長岡を定刻に発車し、「 きたぐに 」は青森を目指す。しかし今日は新津で降りなければならない。次回は大阪から青森まで全区間乗車に挑みたいものだ。
列車は雪原の新潟平野の真中を走る。車窓にはまだ架線のない上越新幹線高架が併走する。再び眠気に襲われつつ新津に8時29分定刻着。
すっかり朝となった新津
広い新津構内
1981.3.13 磐越西線 226レ郡山行 新 津 8:58→11:48 会津若松
DD51 506 東新 ↑会津若松
・スハフ32 2357 (乗車) 全車・仙コリ
オ ハ61 2717
ス ハ33 2340
・オ ハ35 2556
DD51 506 東新 ↑会津若松
・スハフ32 2357 (乗車) 全車・仙コリ
オ ハ61 2717
ス ハ33 2340
・オ ハ35 2556
朝の新津駅、「 きたぐに 」の着いたホームから誇線橋を渡り、1番ホームへ。立食スタンドでうどんを食べ、売店でパンとオロナミンCを買い込み、226レへ向かう。
1番ホームの南のはずれの0番ホームに停まっている客車列車は、連結器の脇や床下からSGの湯気が上がっている。これぞ我が226レである。
車両のナンバーに目をやると、最後尾、唯一ブルーのオハ35は所属表記こそ郡山だが、高タカの文字が浮き上がって見え、高崎からの転属車のようだ。ちょと親近感。
他の3両はみな茶色の古強者ばかりで、一番前の狭窓スハフ322357に席をとった。先頭ではDD51がアイドリングとともにSGを吹き上げている。おかげで客車内は程よく暖房が効いており、ニス塗りの黒ずんだアンティックムードの車内とあいまっていい具合だ。
やがて発車時間となり、DD51が唸りをあげる。ゆっくり動き出すと窓の外に紫の煙が流れ、列車は大きく左にカーブ、信越本線と分かれ、磐越西線に入る。眩しい春の日差しの中、幾つかの駅を過ぎて五泉に着くと向こうのホームに蒲原鉄道の電車が停まっていた。
列車が進むにつれ、沿線の雪の量が増えて列車はいつしか雪国へ・・。
スハフ32の車窓
1番ホームの南のはずれの0番ホームに停まっている客車列車は、連結器の脇や床下からSGの湯気が上がっている。これぞ我が226レである。
車両のナンバーに目をやると、最後尾、唯一ブルーのオハ35は所属表記こそ郡山だが、高タカの文字が浮き上がって見え、高崎からの転属車のようだ。ちょと親近感。
他の3両はみな茶色の古強者ばかりで、一番前の狭窓スハフ322357に席をとった。先頭ではDD51がアイドリングとともにSGを吹き上げている。おかげで客車内は程よく暖房が効いており、ニス塗りの黒ずんだアンティックムードの車内とあいまっていい具合だ。
やがて発車時間となり、DD51が唸りをあげる。ゆっくり動き出すと窓の外に紫の煙が流れ、列車は大きく左にカーブ、信越本線と分かれ、磐越西線に入る。眩しい春の日差しの中、幾つかの駅を過ぎて五泉に着くと向こうのホームに蒲原鉄道の電車が停まっていた。
列車が進むにつれ、沿線の雪の量が増えて列車はいつしか雪国へ・・。
スハフ32の車窓
車窓左手には遠く飯豊連邦、すぐ窓辺には阿賀野川がゆっくり流れる。人家の軒先には雪解け水がポトポト落ちて冬の終わりを告げる。・・・真冬の景色も見てみたいものだ。
列車がトンネルに入る闇の中と春の日差しの雪景色の展開が連続し、目がチカチカしてしまう。
列車がトンネルに入る闇の中と春の日差しの雪景色の展開が連続し、目がチカチカしてしまう。
風景が谷沿いから次第に開けると会津盆地に入る。車窓右手に連なる山々の真中に磐梯山がそびえ、白く美しい姿を見せる。雪原を暫く進むと喜多方。ここから架線下となる。上野からの455系急行「 ばんだい 」が到着。乗客が駅の外へ消えた。
喜多方を出ると再び雪原をDD51はすっ飛ばし、会津若松を目指す。40センチくらいの積雪だろうか、やがて郡山からの磐越西線が左手から合流して会津若松に到着した。直ちにDD51が開放され、2番ホームに4両の客車だけが取り残された。
会津若松
喜多方を出ると再び雪原をDD51はすっ飛ばし、会津若松を目指す。40センチくらいの積雪だろうか、やがて郡山からの磐越西線が左手から合流して会津若松に到着した。直ちにDD51が開放され、2番ホームに4両の客車だけが取り残された。
会津若松
入れ替え中のED77をスナップ