あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

236D・・続き



ところで話は替わるが、今乗っているキハ57は総てクーラーを載せているが、キハ65かキハ28-2000を連結しないと折角のクーラーも回せない。 最近では急行型の新製はないのでこれらの車両を小海線に投入することは不可能だろうが、コレでは宝の持ち腐れといったところである。



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20‰の勾配をエンジンフル回転で登る。八ヶ岳からの風が車内を吹きぬけ、扇風機を回さなくても涼しい。やはりクーラーは要らないかな・・?
いやいや、そんなことはない、今はまだ5月である。
小海線はやはり小諸から入るのがいい。急勾配を野辺山~清里のサミット向けて登る。2エンジン車の威力発揮である。 中込で先頭に1両増結して再び登って行く。





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中込で交換した137D





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ハエタタキ・・・




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小海、DD16貨物と239D


小海線中心駅の小海では、DD16と1両のワフが5月の陽だまりの中に居た。 更に向こうのホームにはキハ57+キハ52の239Dが居る。この列車から売店に走る人、列車をバックにして写真を撮る人などでホームが賑わう。
何分かして列車が動き出すと次は松原湖である。この駅名にもなっている松原湖はこの駅からちょっと離れたところにある小さな湖で、2年ほど前にも来たことがあるが、この湖から名スケーターが何人も出たとは思えないほどの大きさであった。この松原湖千曲川に注ぐ湖で、途中で信濃川と名を変えて新潟の港に注ぐのである。


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松原湖を出ると直ぐS字にカーブしながら33‰を登り、本格的な勾配区間に入る。33‰というとあの奥羽本線の難所、板谷峠並みの勾配である。さすがにキハ57のスピードが落ち、あえぎは大きくなる。かつて信越本線の連続勾配を駆け抜けたキハ57も、小海線の33‰にかかってはちょっと苦しい。しかし、 「 志賀 」 として活躍したころは長野電鉄の40‰も登って湯田中まで走ったのだ。 やはり、クーラーを載せて重くなったせいかな・・。
海尻佐久海ノ口佐久広瀬と過ぎ、八ヶ岳がその姿を次第に大きくしてくる。小海線に“海”という字の付く駅名がやたらと多いのは、先程の松原湖が語源となっているとか・・。
「おまちどうさまでした。次は信濃川上に停まります」のアナウンスが流れ、山男スタイルの客が網棚のリュックを降ろし始める。信濃川上はどこかの登山口となっているらしく、今朝と同じように登山客がどっと降りた。
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次はいよいよ野辺山。再び勾配を登っていく、33‰は松原湖小淵沢の間に点在し、そのたびに唸るエンジンの音に酔う。 野辺山では多くの客が入れ替わり、小海線のサミットである“日本国有鉄道最高地点”を越えればあとはゴールの小淵沢まで連続下り勾配である。
野辺山高原は車窓から見るとハイカーであふれていた。線路と平行している道を歩くハイカーが列車に向かって手を振っている、なんとものどかな光景。近くの家の庭には鯉のぼりが泳ぎ、八ヶ岳山麓は只今春真盛り・・・そんな感じである。
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いよいよ最高点を越えるととたんにエンジンの唸りが消え、アイドリングのみになった。こうなるとDCは面白くない。
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間もなく清里、再び客の入れ替えがあり、車内は少し空いた。向こうのホームには交換列車の243Dが居る。この列車で折り返せば小諸に16:14着、326レに乗り継いで帰宅という手もあるが、何となく面倒でそのまま乗り続けた。
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清里の賑わい

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清里ブームの火付け役といえばやはり・・・
(UP主さま、勝手にお借りしてます。 感謝感激!!)




清里を出ると山梨らしく“甲斐○○”が続く。甲斐大泉甲斐小泉と過ぎ、左に大きくカーブしながら谷を降り中央本線と合流、14:33定刻に小淵沢駅3番線に滑りこんだ。
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画面下方、建設中の中央高速


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中央本線  複線化工事の路盤が見える


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小淵沢に到着した236D


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このあと、「アルプス8号」~八王子~八高線~と乗り継ぎ帰還したが乗車メモなし・・。寝ていたのかもしれない。


( 自己解説 )
中央高速も未完成で、鉄道がまだまだ行楽輸送の主役と言えた1980年、ゴールデンウイークに新宿を出る中央線夜行は臨時を含め8本という強力布陣にもかかわらず乗り残しが出た様子。
その真っ只中に好き好んで 「 中央線を旧型客車で乗りたい 」 というだけの理由で潜り込んだ( 若気の至り? )。通勤電車並みのすし詰め夜行・・後にも先にもこのときだけの経験である。 挙句、上田まで含めて超混雑の小海線を往復し、帰りも懲りずに中央線で帰るという強行軍。最後にせっかく「 アルプス 」 のサハシに乗ってもほとんど記憶ナシ!
まあ、冷房固定窓キハの今となっては窓を全開にして5月の風を全身で感じる小海線の旅は到底不可能で、そういう意味でも貴重な体験・・。

(当時乗車メモ・ほぼ原文シリーズ)