あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

1980.2.10 越後・信州縦断ルート

・・・昔の「旅ノート」ほぼ原文シリーズとして、 順次載せます。


1980.2.10 雪の越後・信州縦断ルート

行程
上野発高崎線935M    倉賀野 0:37→ 0:42高 崎
上野発「佐渡7号」707M  高 崎 1:16→ 5:15新 潟
新潟発越後線128D    新 潟 5:33→ 8:25柏 崎
新潟発信越本線1322レ  柏 崎 9:19→10:13直江津
直江津信越本線322レ  直江津11:25→14:01長 野
長野発信越本線326レ   長 野15:04→18:30高 崎
高崎発高崎線2326レ    高 崎19:16→19:22倉賀野


トップランナーはワンパターンの115系
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2月10日午前0時10分、家を出て倉賀野駅に向かった。
今回の540キロ一日一人旅のトップランナー高崎線ではワンパターンの115系11連。
寒風吹きすさぶ倉賀野駅の一番ホームで935Mを待っていたボクはふと考えた。 ・・・中央線の115系スカ色と東北・高崎線115系湘南色とを総入換してみてはどうか?
そうすればある程度陳腐化も防げると思うし、バラエティーもあっていい・・と思う。
やがてヘッドライトを煌々と輝かせて「天の川」と、EF65のフレートライナーが続けて去っていった。 次はわが935Mの番であるが中々やって来ない。
そういえば、先程の「天の川」にはこれから「佐渡7号」で追い掛けていくと新潟で追いつくはずである。新潟に着いたときには雪まみれになっているかな20系 ‼
ふと気がつくと935Mがホームに入ってきた。 もう深夜なので列車の到着アナウンスもなく、スピーカーはただ沈黙していた。





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そして何両目かのモハ115のドア脇のシートに腰掛けたのだが、この車両はドア部分の床面積が広くなっているので、新聞紙を広げてその上で仮眠をとっているスキーヤーが2・3人。
5分ほどゆらリ揺られて高崎駅2番線に滑り込んだ。 ドアが開くと殆どの人はとなり4番線の長岡行鈍行733Mに乗り換えたのだが、まだ寝ている人が居るので駅員氏が車内に入り「スキーのお客さん、終点ですよ、起きてください。」と巡回。






往年のデラックス急行165系佐渡
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イメージ 2

1980.2.10(上野発2.9)「佐渡7号」  高崎1:16→新潟5:15
全車・新ニイ 
12 クモハ165-54  ↑新潟  乗車
11 モハ 164-513
10 クハ 165-36
9  サハ 165-11
8  クモハ165-42
7  モハ 164-507
6  クハ 165-170
5指 サロ 165-97
4指 サロ 165-109
3指 クモハ165-32
2指 モハ 164-32
1指 クハ 165-53

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高崎発1:16、急行「佐渡7号」は、「佐渡」として唯一の夜行便であるが、連休の為か列車は超満員。先頭の12号車クモハ165-54の前デッキに立ったが、そこだけで客が14人いた。
その内訳は、スキーヤー10人、子連れのオジサン1人、コートを着たサラリーマン風の人が1人、それに白いバッグを持ってオレンジ色の帽子をかぶって客室との仕切りドアのところにボクが・・というところ。
スキーヤーを更に細かく分けると、アベック(列車を降りるまでイチャついていた)が一組、そして週刊誌の入った黒いバッグを持ったアンちゃんが1人、そしてスキーを持った中学生くらいの男の子が1人、更に黒いセーターを着たおじさんが2人、オレンジのジャンパーを着たアンちゃんが1人、それから水上で空くなどという甘い考えを持っていたグループのアンちゃんが3人いた。
幾つかの駅に停まったのち、水上駅1番線に滑りこんだ。 誰一人として下車客はない。 小雪もちらついてきたようだ。そしてホームの向こうの引込み線には朝一番の新潟行465Mとなる新ナカの115系T'cM'MTM'Mcが停まっていた。
2分後、ドアが閉まり電車がまた動き出した。 さっきから気になるのだが、抵抗器冷却風取込口からモーターの「ビ~~ン」という音がモロに出てきて非常にうるさい。
さて、この列車の編成について触れてみよう。
最盛期には今と同じ6M6Tの12連でもちょっと違う内容で、上野←T'cM'McTbTsTsTbM'McT'cM'Mc というビュッフェがサロを2両挟んで両側についていたが、のちにビュッフェ1両を中央線の「アルプス」に提供し、T'cM'McTsTsTbTT'cM'McT'cM'Mc の6M7T13両編成になった。そしていつか時代の流れと共にビュッフェは廃され、T'cM'McTsTsTTT'cM'McT'cM'Mc から今の T'cM'McTsTsT'cM'McTT'cM'Mc の12両になった。
やがて新清水トンネルを抜けて土樽を通過した。次は越後中里に季節停車2:49、 20人程度のスキーヤーが降りた。
イメージ 4

雪の降る深夜の駅で・・


こうして越後湯沢、石打(季節停車)六日町、小出とスキー場の駅を過ぎると座席にもやっと空きが出来た。 窓ガラスにはスノープロウで巻き上げられた雪が凍り付いて白く彩っていた。
席に着くとすぐ眠くなってしまった。・・新津のあたりで目が覚めたのだがすぐまた眠ってしまった。 ここから新潟までの15.2kで信越本線を完乗!と言うのに寝てしまった。クソ~ぉ。
「え~間もなく終点新潟でございます。お忘れ物のないようお支度くださいませ。 接続列車のご案内を・・・・・」 ~急行「天の川」秋田行や「羽越1号・あさひ2号」秋田・仙台行などのアナウンスが流れる。
やがてゆっくりと新潟駅2番線に到着。隣りホームには出発のとき倉賀野を駆け抜けていった「天の川」の20系客車が雪まみれになってEF81の連結作業をしていた。
イメージ 5

新潟到着 サロ165-109

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クハ165-36


1962年、「上越線仕様」「『佐渡』仕様」車両として投入され、風雪と戦ってきたこの165系も、新幹線開業の暁にはこの雪から開放される。
1981年12月のその日までガンバレ!165系!!






キハ47がハバを効かせる越後線
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1980.2.10  128D 柏崎・東三条行  新潟5:33→柏崎8:25
キハ47 1516 新ニイ   ↑東三条
キハ47 510  新ニイ
キハ47 1502 新ニイ
キハ47 508  新ニイ
キハ45 511  新ニイ   ↑柏崎
キハ20 21  新ニイ
キハ26 154  金ナナ
キハ47 516  新ニイ
キハ47 1514 新ニイ 乗車