あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

東武熊谷線・最初で最後の訪問

1983年5月一杯で東武熊谷線(熊谷~妻沼)が廃止となった。

本来は利根川を渡り、西小泉へ・・東武の本線(伊勢崎線)と繋ぐ予定であった
そうだが、それをやると国鉄高崎線へミスミス客を与えることになる・・との見解
があったようで、結局それが果たせぬまま大手私鉄赤字ローカル線として廃止されてしまった。
 
 
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 東武の案内ポスター。
 東武的には 『くまがやせん』 だが、地元民は 『めぬません』 と呼んでいたようだ。
 湘南マスクの小さなDC(キハ2000)が走っていた。
 
 
 
 
 
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その最終日にカメラをぶら下げ出かけた。
  ・・専門学生時代、平日にもかかわらずヒマだったものです。

  まずは『主役』キハ2000の運転台。
 ・・窓越しに見える熊谷駅ホーム(秩父鉄道と共用)の高崎線側線路は
 バラストで分断され、上熊谷寄り半分をキハが占有していた。
 
 
 
 
 
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2両で運転されたキハ2000の連結部。
 
 
 
 
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当時の秩父車を写していたので、ここで「ゲスト」として載せます。
 
・・小田急からやってきた800型。・元をただせば国鉄ロクサン型電車。
 
 
 
 
 
 
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秩父オリジナルの500型と並ぶ。 
 
 
 
 

 
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さらに旧型車。のちにJR101系改の1000系に置き換えられた。
(もしかすると800型をはさむかも・・)
半室荷物車なども存在した。・・・最近1000系の一部がこの塗色になったらしい。
 
 
 
 
 
 
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話は戻って熊谷線。 腕木信号が健在だった。
 
 
 
 
 
 
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麦秋のお別れ・・。
 
 
 
 
 
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キハの雄姿です。
 
 
 
 
 
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中間の大幡駅。
 
 
 
 
 
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そして妻沼駅。・・「往復券は発売不可」(明日まで有効となってしまうので)
との案内が・・。
 
 
 
 
 
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妻沼駅舎。
 
 
 
 
 
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駅前ロータリー。 すでにバスと競合していた・・。
 
 
 
 
 
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熊谷駅ホームに出された秩父鉄道からの横断幕・・。
 
 
 
 
 

熊谷線、新たな交通システムとして復活の構想もあるようで、
一部のネット上などで語られています・・。