あさま銀嶺3号ぶろぐ

ヤフブロより移籍です

浅間は銀嶺・・高原列車は行くよ~?

「あさま銀嶺」と言いながら、当該列車の写真がない・・・・。

ということで、初冬の信濃追分へ出かけた写真です。(1980)

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雪化粧の浅間山を望む駅ホーム。 ・・小説の舞台になるのも頷けるナ。
 
 
 

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待合室をモノクロで・・。

 
 
 
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落葉松林を抜けるEF62貨物列車。
・・碓氷を越え、信越本線のサミットを越え、善光寺平への長い下りにさしかかったところ。
カン高いEF62の唸りが幾分マイルドになって辺りに響く。
 
 ~のんびりと山間をいくこの機関車は、
 後に「運命の下関大コンバート」
 ・・過酷な東海道・山陽での高速連続運用という気の毒な行く末が・・。
 
 
 


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上野を目指し駆け抜ける489系「白山」。
・・グリーン車2両・12連ながら、食堂車が外されていた時代。
ボンネットのマークにイラストが入ったものの、
後に57-11でサシ489が復活するまでの寂しい時代・・。
 
 
 

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こちらは下り189系「あさま」。 ・・沿線風景でも「白眉」と言えるシーン。
車掌さんの浅間山についての案内放送が流れている頃。
 
 
 

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高崎行115-1000鈍行。
「耐寒耐雪強化スペシャル」としてこの運用(松本)に真っ先に配置された115系1000番代。

・・そのデビューが当時解散人気絶頂のキャンディーズ「わな」(ミキちゃんファンでした・・。)
と重なり、今でも強く印象に残ります。 新車の115-1000で眺めた信州の雪景色のBGMにぴったり!?

~それまでの80系に替わり、現在までも続く活躍ぶりだが、初めて高崎駅で7時発の長野行
運用に入っているのを見たときは「超センセーショナル!!」・・どうして115系が信越線??

高原に80系の吊掛けサウンドが響かなくなったのはさびしかったが、
後々良く見れば雪切ルーバーが厳めしく、台車のコイルバネを坊雪ゴムカバーで覆い(メンテが
面倒なのか、信州地区の1000番代では後に外されてしまった)貫通ホロ枠にも隙間風よけパッド
を付けた本当のスペシャル電車であった。 冷房「準備」の屋根、4M1Tの強力編成、169系と
変わらぬシートピッチで、信州をはじめとして・・後には正調冷房車が115系の走るほとんどの
エリアに増殖したのが昨日のよう・・。